「階段を降りる。たぶん、下までつながってんだろ。そんで奴らを探す」
休憩を終え、フォルテが真下へと続く階段への扉を開ける。目が慣れず、階段は暗く見える。
「また転送鏡があるといいわね」
メリアの希望のとおり、二度折り返した先の踊り場に、先ほどと同じような転送鏡がある。くぐった先は平らな廊下。その先にまた扉。扉の先は、崖をくりぬいた部屋だった。岩肌がむき出しで荒々しい。窓はなく、正面に扉がもうひとつ。
「外、だな。行くぞ」
フォルテが正面の扉を開けると、湿った森の香りに包まれる。まばらな木々、短い下草、絨緞のような苔とせせらぎの音。爽やかな風に木漏れ日が揺れている。道のようなものはないけれど、どこも平らで歩きやすく、おとぎ話の世界と言われても納得するくらいの、穏やかで、豊かな森。
「とりあえず、まっすぐ?」
「そうだな。こんな絵に描いたような森にあいつらはいないだろうな。森を抜けた先の、荒れた感じのあの辺りだろ」
森は、穏やかに生命が息づいているようだった。姿は見えないけど「がさり」と揺れる灌木。鳥が歌う声。時折、林檎のような果物がなっている。スケッチの頻度が上がったクラルスが遅れ気味になるけど、こんな穏やかな森に、魔物は出ない気がするから油断して距離も開き気味になる。
「さっきの声からするとさ、何匹かいるっぽいじゃん? 全部倒したいの?」
「まさか。ドラゴンの中には、神話級のやつらがまだ生きていると言われてるし、そうでないクラスでも、そいつがいることでバランスが取れていることがある。ナワバリだったから他の厄介な魔物が入ってこない、みたいにな。慕われてたり何かの役に立ってたりするようなやつらは、倒したって名声は高まらない。どころか下がることだってある。ドラゴンに遭っても、いきなり手を出すなよ」
「オッケー」
「ねぇ、もう森は終わりみたいよ」
メリアの言うとおり、大木を回り込んだ先に木々が途切れていた。上から見た森は、もっと遠くまで広がっているように見えたのに。
「気付かないうちに、また転送鏡を通ってましたかね」
「わたしは森の力だと思うな。この森自体が、魔法の森、とか」
「魔力を感じるのか?」
「ううん、人工的な魔力は感じないわ。おとぎ話に出てくるような森だったからそんな気がしただけ」
「おとぎ話に出てくる森って、入れなかったり出られなかったりするけど、ここは反対だね。迷わずの森」
話しているうちに森は途切れる。広がる岩の大地。なだらかに起伏していたり、突き出た岩山があったり、植物はほとんど生えていないのだけど見通しはそんなに良くない。
「これは、迷いそうですね。目印が少ない」
「高いところに登ればわかるだろ。魔法がかかってなきゃな」
言いながらフォルテは、手近な木に赤い布を巻いている。
「クラルス。この辺の木の配置をメモしておいてくれ」
十歩ほど進んだクラルスは振り返り、嬉しそうにペンを走らせる。
「メリアー! 見える範囲で一番高い丘はどの方向だー!」
フォルテは上に向かって呼びかける。メリアはいつの間にか、木に登り、遠くを観察しているようだった。身軽に降りてきたメリアは自身の日誌の一ページに簡単な地図を書く。
「この辺りがちょっとした岩山になってたけど登れるかどうかはわからなかった。こっちはなだらかな丘で登れそうだったし、岩山ほどじゃないけど辺り一帯見渡せる高さがあると思う」
森のスケッチに細かな陰影を付けようとしているクラルスを止めて、メリアの見た「なだらかな丘」を目指して歩き出す。鳥か、それに似た魔物なのか、聞いたこともない鳴き声が響いている。けれども一番大きなのは、四人の立てる足音、衣擦れ、武器の揺れる音なのだった。日差しは強いけど風は冷たい。
ニスタは時折振り返って森の入り口の赤い布が見えるか確認していたが、大きな岩を回り込み、枯れて倒れた大木の洞の中をくぐり抜けるうち、赤い布も、森も見えなくなる。
「静かだね」
「そうだな」
人の作ったものが何もない場所だと思うと不思議な気持ちになる。昨日までは街の中にいて、何もかもが人の手によるものだったのに、今ここは、もしかしたら誰も歩いたことがない場所なのかもしれない。
だから、大きなキノコの魔物の群れが現れたとき、ニスタはほっとした。全く同じ魔物は見たことないけれど、似た魔物とは何度も戦ったから。ニスタの知っている世界だから。
そんな気持ちはみんな同じだったのか、倒した後はよく喋るようになる。
「思ったより緊張していたようです。先ほどのキノコには申し訳ないですが、いい準備運動になりました」
「さっきの見張り小屋がある以上、全く人跡未踏ってわけじゃねぇだろうが、少なくとも地図には描かれない程度の未知の場所だ。警戒する方が正解だ」
「わたしもほっとしたな。全然見たこともない、歯が立たない魔物が出てきたらどうしようって思ってたけど、外と全く違う、ってわけじゃなさそうね」
外、という言葉にニスタはわくわくする気持ちを思いだした。ここは、中。地図にない、未知の場所。
「たぶん、わたしが見たのはこの辺りまでだと思う。あれが岩山で、ここが丘」
どれくらい時間が経ったのか、「なだらかな丘」にたどり着いた。確かに辺りがよく見える。赤い布こそ見えなかったものの、森と、森の奥、崖の上にある見張り台が小さく小さく見えた。
「隣の岩山に登ってもいいが、このまま下って湖に向かうのが良さそうだな。ドラゴンも、水くらい飲みに来るだろ」
「何か来ます!」
クラルスの緊張した声が飛ぶ。視線の先は丘を下り、平らになった辺り。立ち枯れしたまばらな木と、ここからだと小さく見える岩が乱立している。その隙間を縫うように、小さな影が移動している。
「熊っぽいね」
灰色の大きな熊は、獲物を追いかけているのか、全速力に見えた。丘の下を、ここから見れば左から右へと横切っている。と、その後ろの山が動いた。が、それは山ではなく。
「レッドドラゴン……!」
ドラゴンは熊を追いかけていた。熊の逃げ道を塞ぐように炎を吹いてみたり、ふわっと浮くように距離を詰め、押し出すように頭で小突いてみたり。追いつこうとしていないのは明らかだった。よく見れば熊は血を流している。あれは狩りと言うより……。
「遊んでいる、みたいですね」
クラルスの声が苦々しい。メリアも眉をひそめている。
「フォルテ、一応聞いてみるんだけど、あいつは」
「まだガキだな。翼も育ちきってねぇから飛べない。性質は残忍。あいつが成長し、山を越えるようになったら街道がひとつ潰れるな」
「つまり?」
「ああ。俺たちの獲物だ!」
言うなりフォルテは丘を速歩で下り始めた。フォルテは徐々に速度を上げ、ドラゴンが気付いたとき、フォルテは既に跳んでいた。振り下ろされた両手剣はしかし、「硬ってぇ!」岩を叩くような固い音を立て鱗に弾かれた。
ドラゴンがフォルテを睨み、笑った、ように見えた。ニスタはドラゴン語がわからないが、それでも気持ちはわかった。「新しい獲物を見つけた」という喜び。試すように噛みつくそぶりを見せるドラゴンを、フォルテは両手剣で捌いていた。メリアは両手に短剣を構え、隙をうかがっている。クラルスはどこから取りだしたのか、扇を構えて呪文を唱える。闇の塊がドラゴンの鼻先で爆発する。誰がその発生源なのかよく理解している、と言わんばかりに目だけでクラルスを睨んでくる。
ニスタは手足が冷たくなるのを感じた。見上げるほどの魔物とは初めて戦う。一噛みでもされればすぐさま戦えなくなるのでは……?
「倒せる、かな?」
「倒せますよ。ぼくを睨んできたってことは、効いてるってことです。怪我したら回復しますから、思いっきりやっちゃってください」
「ありがと。期待してるわ」
「フォルテ! ドラゴンって弱点ないのー!?」
「大抵腹側が弱い! 後は眼だ!」
「どこも狙いづらいわね」
メリアがふふっと笑う。
「その鱗は岩のように固い。おとぎ話のとおりね。短剣で貫けるといいんだけど」
「隠れろ!」
フォルテが叫びながら下がってきて、四人とも慌てて岩の陰に隠れる。さっきまでいた場所を、炎が焼いていく。焦げる匂い。岩の陰にいても熱波が熱い。喉が渇くほどだ。クラルスが聖水瓶を取り出して呪文を唱える。瓶の口から水が球となってふわふわと浮き上がり、雨のように、四人に降りそそぐ。
「乾くまでは、多少の傷なら勝手に治ります。気休めかもしれませんが、一応」
一番に飛び出したのは、やっぱりフォルテだった。真正面から斬り合い始める。クラルスも岩陰から出て、フォルテの回復と、時折の攻撃呪文。メリアは距離をとって迂回し、背後を取ろうとしているようだった。
「がんばろうね」
ニスタはブーメランに呼びかける。ピンチの時はいつだって、この子と乗りきってきた。きっと大丈夫だ。いつもみたいにきっと何とかなる。
重りパーツを付けて重心を偏らせる。メリアの後を追うように飛び出して、ドラゴンの右側面に立つ。あいつはフォルテの方に気をとられている。フォルテの両手剣と、クラルスのドルモーアに。深呼吸。大きく吐いて、大きく吸って、それから魔力を込めて、思いっきり投げる! 超回転するブーメランは、ドラゴンの脇腹にぶつかって火花を散らす。ガラスを釘でひっかくような音と、それから氷が割れるようなパキパキッという音。苦痛のグオァという叫び。戻ってきたブーメランは、鉄の部分が持てないほど熱くなっている。ドラゴンを見れば、鱗が数枚剥がれていた。フライパンくらいの範囲だ。自信があったのに、たったあれだけ。
「ナイスよ、ニスタ!」
メリアが翔んだ。駆け寄って、ドラゴンの巨体を駆け上がるようにして空中で身体を翻し、いつの間にか、ニスタの剥がした鱗のない部分に短剣が突き刺さっている。だが、ドラゴンは全く気にしていないようだった。あの大きさに短剣なんて、蚊に刺された程度じゃないだろうか。
トン、トン、トンとバックステップで戻ってきたメリアは額に汗をかき、笑顔だった。
「あんな小さな傷じゃあ焼石に水って顔してる。大丈夫よ、見てて」
言うなりメリアは再び駆けだして、鱗の剥がれた場所を切り裂き、同じように胴体を蹴って空中を舞い、戻ってきた。さっきと違うのは、ドラゴンが苦しむ様子を見せたこと。小さく吠え、メリアとニスタの方を睨んでくる。が、すぐにフォルテとの噛み合いに戻る。
「さっきと全然違う。なんで……? あ、毒?」
「正解。一回目で毒を教えて、二回目で過剰反応させるの」
メリアはそのまま再び小さな傷を切りつけに走った。振り回されるしっぽを翔んで避け、切り裂いては下がってまた間合いを詰めて裂く。
みんなすごい。フォルテは正面から叩き合っているし、クラルスは的確に攻撃と回復を切り替えている。こんなにも頼もしい味方がいるのなら、ニスタも怯えている場合じゃない。少しでもダメージを与えなくては。メリアがドラゴンの右から攻撃している。フォルテは正面、クラルスはフォルテの後ろ。じゃあ左だ。左側に回り込んで、メリアと挟む形が良い。しっぽ側から回り込んで、棍で叩いていく。鱗はまるで岩のように棍を弾き返してくるけれど、衝撃は伝わるはずだ。重なった鱗が衝撃を分散しても、じわじわ内側に痛みを与えるはず。
身体を動かしていると、やっといつもの自分が戻ってきたような気がする。さっきまでは身体が固かった。初めての強敵はいつも、怖い。
「おいニスタ! さっきのギャリギャリするやつ、もう一回できねーか!」
剣を振るいながら、こちらを見ずにフォルテが言う。
「レボルのこと!? やってみる!」
握ったブーメランは、さっきの一回でゆがんでしまっていた。大切な相棒だけれども、でも。
「……ごめんね」
深呼吸。魔力を込めて力を込めて、構える。後はタイミング。思いっきり投げるのは、やっぱり隙ができる。さっきはメリアのそばにいたけど今はひとり。反撃されないよう、フォルテの打撃によろめいたタイミングがいい。けれども何をどう察したのか、ドラゴンはニスタの方に顔を向け、大きく息を吸い込んだ! ブレス! 地面の焦げ跡が目に入る! 隠れる岩もない! 怖い! ドラゴンの口が炎を湛えているのが見える。「そのまま撃て!」 フォルテの叫びに、身体が動いた。まっすぐ頭を目掛けて飛んでいくブーメラン。かわそうとするドラゴン。そのドラゴンの首を、フォルテの両手剣が上から打つ。切れないが、首の向きが変わる。超回転の進路に、ドラゴンの右目。「ナイスだ!」ブーメランは。ブーメランは、魔力の誘導をもってしても帰っては来なかった。不規則な軌道を描き、焦げた地面に力なく落ちようとしている。ああ、と思った次の瞬間、息ができなくなった。視界が回る。
「大丈夫ですか」
クラルスに背中を支えられていた。どこかが痛い。どこもが痛い。咳き込むニスタにベホイムの光。ドラゴンは、片目を潰された怒りで激しくしっぽを振り回していた。難なくかわして切り刻み続けるメリアの姿が見える。
「あたし、しっぽを食らっちゃった?」
「はい。傷は治っていると思いますが、立てますか?」
こわごわ立ってみたが、立てる。涙が出るし身体は重たいが骨は大丈夫。
「行ける。ごめんね、ありがと」
相棒の終わりに、気を取られていた。悲しむのは後だ。相棒が力尽きるまでダメージを与えたんだから、なおさら勝たなくちゃ。棍を持って走り出す。さっきよりずっと視界が広い。フォルテは正面で、今時流行らない、捨て身に近い戦い方をしている。直撃さえ避ければいい、という動き。クラルスが攻防の呪文でサポートしているけれど、彼もきつそうだった。魔力にも限りがある。メリアも、攻撃をかわし続けているけれど、先ほどより短剣が閃く回数が減っているような気がする。呼吸を整える時間が増えている。
ドラゴンは。
確実にダメージは蓄積されているし、怒りに燃える目には余裕があるようには見えない。けれども動きは鈍らないし、フォルテが隙を与えればすぐ、ブレスが来るかもしれない。倒す前に、こちらの体力が、あるいは魔力が尽きてしまうかも……。
ニスタも棍で、メリアとは反対側の側面を殴り続ける。しっぽを警戒しながらだからペースが遅いしさっきから汗が止まらない。身体が重たい。次座ったら立てないかもしれない。だけど。
「確実に削ってるよ! あと一息がんばろー!」
気持ちで負けてたらきっと勝てない。逃げたくない。四人で帰りたい。ニスタの言葉に、それぞれ気合いのこもった返答がある。
と、音楽が聞こえた。余りに突然だったので、変な魔法にかけられたのかと思った。音のする方を見ればメリア。岩の上に立ち、リュートを弾いていた。切ない音色なのに、闘いへの意思をかき立てるメロディ。
「合わせて!」
一瞬の間を置いて、わかった。四拍子だ。メリアは、一拍目を普通より強調している。一! 二、三、四、一! 二、三、四――。
最初に反応したのはフォルテ。一拍目に、鱗を叩く鈍い音が重なる。クラルスも、一拍目で呪文を放つ。ニスタも一拍目に合わせて棍を振るう。毎小節は無理だけど、できる限り。
「こりゃいい! 行けるぜ!」
「ほんとだね!」
単にタイミングを合わせて一斉攻撃しよう、という意図だと思っていた。けれども音楽に乗ることで不思議と身体が軽くなっている。考えるより先に身体が動く気さえする。余計な力が抜け、けれどもお腹の底から沸き上がるものがある。込めるべきものが、全て宿って一拍目に爆発するイメージ。何十回と戦って一度あるかないかの会心の一撃が、毎撃繰り出せている。
テンポが上がる。メリアが音で、もっと激しく行けと伝えている。速くなったテンポに身体が慣れたころ、メリアは演奏を止め、再び短剣を握って舞っている。けれどもニスタの耳には、みんなの耳にはそのままさっきの旋律が残っている。刃がぶつかり、火花を散らすようなあの旋律が。
ああ楽しいなぁ。怖いけど楽しい。戦うこと自体じゃなく、四人でこうして、一緒の気持ちで戦えることが。目指しているところが同じだと、確信できていることが楽しい。
だからもっと動ける。もっと行ける。できることがある。まだ成功率は高くない、未完成のとっておき。今ならきっとできる。距離をとり、走り出す。棍で地面を打って跳び上がった高さは、いつもよりもずっと高い位置で、ドラゴンも、その周りで戦う三人の様子も、地面の焦げ模様もよく見えた。行ける。棍の回転に、身体のひねりと棍自体の重さ、落下する力、魔力を込めて、ありったけを叩きつける! 鈍く、大きな音。
「はは、さすがに倒しきれないか」
ドラゴンは、衝撃で横転しかかるがどうにか耐え、痛みの原因であるニスタを片目で睨みつけ、睨むだけでは我慢できず、身体ごとニスタの方に向き直り牙を剥き――その向こうで、フォルテが、両手剣を掲げていた。魔力か闘志か、陽炎のように揺らめくその両手剣は、本来よりもはるかに長く大きく、白く輝いていた。
「これで終わりだ!」
振り下ろされる両手剣。重たい音。地面に叩きつけられるドラゴン。
破壊された角が回転しながら宙を舞い、それが地面に落ちてもドラゴンは動かない。
後ろに跳んで膝を突くフォルテは、地面に突き刺した両手剣にもたれかかり、荒い息をしたままドラゴンを睨んでいた。メリアもクラルスも構えたままだ。立たなきゃ。ニスタは棍を杖代わりに立ち上がり、一度後ろによろめきながらも構えた。みんなの、激しい息づかいだけが聞こえている。でも、ドラゴンは目を見開いたまま動かない。
「勝った……?」
フォルテがゆっくり近付き、ドラゴンの頭を蹴った。動かない。
「大丈夫のようですね」
「ああ。俺たちの、勝ちだ。血の臭いがお仲間を呼ぶかもしれない。できれば早めにこの場を去りたい。だが」
今は少し休息の時間だ、というフォルテの宣言を聞いて、ニスタはそのまま後ろに倒れて寝転んだ。今はもう、動けない。でもそれはメリアもクラルスも同じみたいだった。その場で膝を突いたり座り込んだり、息を整えている。逃げなかった。最後まで戦えた。良かった……。寝転んだまま見る空は、とても青かった。
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